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進化する生物-ねこ-

7年前のある日、我が家は子猫を家族の一員に迎え入れた。ペットショップで2割引の値札をつけられた猫にハートを射抜かれたのだ。買うつもりは全くなかった。しかし小首をかしげて懸命に私を見ているのを見て、放っておけなかった。手足が短く、長毛でマンチカンという洋猫だが、主人の意向であえて和風にもん太と命名。子供のころからさまざまな動物を飼ってきたが、猫は我が家にとって未知の生物で、わくわく、ドキドキの日々が始まった。

いきなり家の中に放すのには抵抗があったので、まずゲージを買った。朝私が起きると、もん太は居住まいを正してゲージから出してもらうのを待っていた。「そうかそうか、出たいのね」と出すと、私の丈の長いスカートの裾にまとわりついてよく遊んだ。犬のようにおもちゃを私の後ろに置いて、投げてもらうのを待った。私はそれを「もん太のハンカチ落とし」と呼んでいた。人がいない時はゲージに、いる時は部屋に放す。7年が過ぎた今ももん太との一日のサイクルは変わらない。変わったのは、猫はコミュニケートする生物だということが分かった点だ。

毎夜、私がお風呂に入ると、必ずあとからついて来て引き戸を自分で開けて洗面所に陣取る。私はもん太のブラッシングのあとの抜け毛を桶で排水溝に流すのだが、それをお風呂のドアの隙間から見るのが面白くてたまらないのだ。床に不規則な溝があるので、流れるのか流れないのか、どこへ向かうのかなど、なるほど、ふよふよした動きは確かに面白い。流れる毛を捕まえようと、思わず浴室に入ってくることもある。水が怖いにもかかわらず、だ。今日のショーはお気に召したか。こちらも思わずにんまりする。

23日くらいの家族旅行に行くときは、リビングルームに一匹放して出かける。帰宅時には、以前は、ドアを開ける音に気づいて奥から出てきていたが、最近はドアを開ける音に気づいて、遠くからニャンニャン鳴いて、不審者ではないか確かめるようになった。玄関から聞き覚えのある声で名前を呼ばれて初めて、だいじょうぶだと分かり、のしのし奥から出てくるようになった。箱入り息子で、怖い人に会ったことなどないのに用心深い。

テーブルに上るなど、悪いことをしたときは、お仕置きとしてゲージの中にいったん入れるようにし始めた。しばらくして出して、遊んであげようとしても “いいよ、つまんない”とばかりにすぐゲージに戻ってしまう。誇りを傷つけられてへそを曲げたな。ここは、おやつをあげるか。

  このように、猫は野性と知性を併せ持って、年とともに目、声、仕草で人間と多様なコミュニケーションをとるようになる。知人の猫は自分で勝手に冷蔵庫を開けて好きな物を食べる。コミュニケーションどころかもはや“猫”を超越している。もん太も数年後には新たな生物に進化しているのだろうか。