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旅立ち-プレゼント

「還暦の頃には、今よりできることを増やそう」と48歳の時に思った。人は年をとるとともに出来ないことが増えていく。それに抗おうと思ったのだ。とは言え、もともと、私には何もなかった。趣味も、好きなことも、うんちくも。自分の言葉で語れることが何もなかった。ただただ19年間、同じ会社で友だちも作らずに同じ仕事をして、残業続きだった。それが苦痛だったわけではない。海外出張もして仕事は楽しかったし、それなりのプライドもあった。でもそれだけだった。結婚はしていても子供はいない。長く続けた部門から異動して3か月ももたず身体を壊して、会社を辞めて服薬、自宅療養の身となった。さて、家にいても、何をしていいかさっぱりわからなかったのが最初の3年間。会社オンリー人間の末路そのものだった。

 

「What do you want to be?(何になりたい?)」と生徒に聞いたら、私を指さしてくれたことがあった。実は20代半ば、児童英語講師をやっていた時があった。年端もいかない小さな子供相手に英語を好きになってもらおう、その一心で授業を行った。留学経験がない私でごめんなさいと心の中で生徒に謝っていたが、その一瞬でほっとした。その時を幸福度200点としたら、家でぐうたらしていた自分はどん底にいた。

 

「そうだ、楽器をやろう。」それが一つのターニングポイントだったかもしれない。それからはオカリナを習いに、そして音信不通にしていた旧友に連絡をとって家に招き、着付けやら、料理やら、気がついたらカレンダーにびっしり予定が入るようになった。また、忙しいだけではなく、以前は自分に子供がいないことから負い目を感じて、小さな子供のお母さんや、若い方との交流には心を閉ざしていたのだが、自然と気にならなくなった。いないものはいないんだ。子供のいる生活を聞くのが新鮮で楽しくなった。着付け教室で娘ほど若いお嬢さん先生にも、おばあちゃま先生と同じように、敬語で話す。そうこうして後半2年間楽しい専業主婦生活を満喫した。

 

「お金を払うだけでなく、自分で稼いで、ギブアンドテイクで社会とつながりたい。」と思ったのはその頃だ。そして、数か月に亘る就活の結果、アラフィフにして無事、一般事務、正社員の座を射止めることとなった。前職と比べて給与は決して高くないが、某雑誌で「女性が働きやすい会社」ランキング上位をとった会社だ。2か月働いた今、「おばさんは扱いにくいと思われないようにしよう。まずは、それぞれの人からの信頼を積み重ねることが重要。」と考えた。前職辞めたのは、人間関係と自分のプライドに自分を縛りつけていたのも大きな要因だったことに気がついたからだ。過去のプライドと決別することを決めた。

 

「会社が楽しいです。」勤務先の支社長とエレベーターで一緒になった時に告げた通り、実際、コピー取りも、お昼にする様々な世代の諸先輩方との他愛無いおしゃべりも楽しい。専業主婦時代に考えた、人間関係における自他に対する期待度を、80点で構わないと反芻する。家にいて誰にも傷つけられず、影響を与えないより、日々、人生そして人、色々あって面白い。人生の主役は私だ。まずは前職で挫折した3か月を超えて働けることが当面の目標だ。他の誰かと競うわけではない。過去の自分へのリベンジだ。

 

「65歳まで趣味の造詣を深めよう。」還暦までにできることを増やす計画を手直しした。今私の目の前には、専業主婦時代に始めた様々な趣味と人脈とで、彩り豊かな道が交じり合いながら開かれている。

 

「人生に無駄はない。」この境地に至るまでの5年というリフレッシュ期間。そして、遅まきながら自分の思い描いた道。恵まれた環境下での正社員というチケット。これらを、感謝と謙虚の念を忘れずに大切にしながら、日々丁寧に暮らしていこうと思う。