
久米宏さんが亡くなったというニュースを見て、胸の奥が静かにざわついた。 子どものころ、毎週楽しみにしていた「ぴったしカンカン」や「ザ・ベストテン」。 あの番組たちが、私の中の“テレビ”という存在の原風景だった。
セクション①:子ども時代の記憶と久米さんの存在
「ぴったしカンカン」は、ただのクイズ番組じゃなかった。 出演者たちの個性を引き出しながら、全体をきれいにまとめていく久米さんの進行に、子どもながらに「すごいな」と思っていた。 「ザ・ベストテン」では、徹子さんとのやり取りが絶妙で、時間のない中でも軽やかに、でも芯のある言葉で進んでいく。 あの空気感は、今でも忘れられない。
セクション②:ニュースステーションと“始まりの音”
大人になってからは「ニュースステーション」を時々見ていた。 オープニングに流れる洋楽が、久米さんの声とぴたりと重なって、 「これから何かが始まる」という緊張感と期待があった。 あの音楽を聴くと、今でも少し背筋が伸びる。
セクション③:人の死が教えてくれること
こうして思い出に浸っていると、ふと「人も猫も、生き物はいつかいなくなるんだな」と思う。 今、社内でそりが合わない人がいたとしても、 その人も、私も、いつかはこの世を去る。 そう思うと、なんだかその“そりの合わなさ”さえ、いとおしく思えてくる。 意見をぶつけ合うのは、生きていて、自分の考えを持っているからこそ。 それって、実はとてもきらきらしたことなんじゃないかと思う。
結び
人の死は、静かに、でも確かに、私たちに何かを教えてくれる。
今日は、自戒を込めて、久米宏さんに哀悼の意を。
そして、あの頃のテレビの記憶に、ありがとうを。

















