
最近、日本人の幸福度が世界的に見て低いと言われているそうです。 「幸せを感じる感度が低いのでは?」 「幸せという言葉のハードルが高すぎるのでは?」 そんな声も耳にします。
たしかに、「幸せ」と聞くと、 何か特別なこと、大きな出来事を思い浮かべてしまいがちです。 でも、「満足」と言い換えてみたらどうでしょう?
たとえば会社員の日常の中にも、 こんな「まんぞく」はありませんか?
- コピーが一回で、きれいに収まった
- 締め切り前に、全員から回答が集まった
- Excelで縦横が一発で合った
- こちらのミスを、私だけにそっとチャットで指摘してもらった
どれも小さなことだけれど、 その瞬間、ふっと肩の力が抜けたり、心があたたかくなったりする。 それって、もう「幸せ」なんじゃないかなと思うのです。
もん太が亡くなって、本当に寂しい。 でも、いてくれただけで幸せだった。 かけがえのない14年余りを一緒に過ごせたことは、 何にも代えがたい宝物です。
たしかに、失ったものはもう戻らない。 その喪失感は、はかりしれない。 でも、もし最初から存在していなかったら、 このつらさも、この愛しさも、知らなかった。
「いなければよかった」なんて、絶対に思わない。 いてくれたことが、幸せだった。
ものは考えよう。 幸せは、そこここに。
気づくかどうか、受け取るかどうか。 それだけのことなのかもしれません。















