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もん太、またね。

昨日が初七日。

もん太のいない家はがらんとしている。

扉の向こうに、部屋の柱の向こうに、カーテンの隙間から、バスタブの蓋の上に、

もん太がいるような気がしてならない。

思えば年末年始にがくんと体調を壊し、

その後段階を追って食欲が減って。

最後の1-2か月はほとんど食べられなくて。

助からないとわかっていて苦しいのを延命治療で引き延ばすのは、

自分たちに置き換えてもいやだったので、

後半は吐き気止めと毒素を吸ってくれる薬のみあげていた。

この期間、私は残業続きでずっと彼のことが気がかりだった。

家に帰ると今日は食べた?が在宅の主人との合言葉だった。

ごめんね、傍にいてあげられなくて。

先週、葬儀会社の方が見えて、

最初に言ってくださりました、マンチカンで14歳は長命ですと。

そして綺麗に毛を整えられて、保冷剤の上に引かれたタオルの上に静かに横たえられた彼の姿を見て、どんなに大切に育てられていたのがわかりますと。

みなさんにそうおっしゃるのかもしれません。

でもそう言っていただいて一つわだかまりが溶けました。

いよいよお別れの時。一生懸命もん太に語りかけました。

どんなに君が大切だったか、好きだったか。来てくれてありがとう、そして、またね、と。

その時、真一文字に閉ざされていた口の口角が上がっているのに気がつきました。

一説によると亡くなっても鼓膜は音を拾って反応しているそうです。

嘘か本当かはわかりません。

が、亡くなって24時間以上、飽きる事なく顔を見ていた私にはその微妙な変化を確かに感じました。

そして少し心が落ち着きました。

お別れの儀式は後で後悔しないようにできることを精いっぱい丁寧に。

もん太。ごめんね、ありがとう、そしてまたね。

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