
愛猫もん太が2025年9月7日午前9:00に14歳8か月で旅立ちました。
今までは、外でどんなにつらいことがあっても私には家・主人・そしてもん太がいるという絶対的な安心感がありました。
そのもん太が永久にいなくなってしまった。
両手を目の前に差し伸べて手のひらにもん太を置いていたらさらさらと砂になって土に還ってしまった。もう手のひらには戻ってこない。
生きていた頃の動画を何度も見返し、もん太がいる当たり前の日常がどれほど貴重だったかを痛感しています。どれほどお金を積んだとしてもあの頃はもう取り戻せない。
映画「コーヒーが冷めないうちに」がリアルにあったらどんなにいいだろう。わずかな時間でもどれほどもん太をこの手で抱きしめてあげるだろう。
お世話になった近所の獣医の先生にご報告に行きました。慰めの言葉をかけていただき、その言葉を継いで先生は「ストレスのない環境で育てて差し上げられて、本人も良かったと思いますよ」。
その時思い出しました。3年前の我が家の引越しを。
子どももいなくて残す相手もいないため、資産価値が高いうちにマンションを売って新しい所へ越そうというわけで、もん太が11歳の時に引越しをしました。
引越元で荷物の搬出をしていた主人はもん太の相当激しい抵抗にあったそうです。
今考えると、今私の心の拠り所は家と主人ともん太。そう、家です。
もん太が生後3か月足らずで初めて家に連れて帰ってこられてからずっと慣れ親しんだ家。しかもその中でお気に入りの座面の広いソファーが撤去されていく様を彼はどんな思いで見ていたか。
今初めて見る、Googleに集められたもん太の写真は、そのソファーの上でへそ天でごろごろしているものが多かった。
彼にとって引越しは最大のストレスだったのか。後に肝臓、腎臓を悪くしたけれどそのストレスは影響なかったのか。
その事実が分かったとしてももう時間を取り戻すことは出来ません。
ごめんなさい、もん太。あなたの安住の地を奪ってしまって。
でも私たちはあなたがいてくれて本当に幸せでした。あなたがいてくれた14年余りは本当に愛おしい。あなたもそうであったことを願います。
主人はこの喪失感により反対するかもしれませんが、私は数年後にもう一度「うちの子」を迎え入れたいと思っています。そしてもん太の分も併せてとびっきりに幸せにしてあげたい、そう思っています。
もん太、ありがとうね、大好きなパートナーだったよ。
