
映画『おーい、応為』を観てきました。 淡々とした語り口の中に、燃えるような情熱が潜んでいて、 観終わったあと、しばらく言葉が出ませんでした。
北斎と応為。 二人の“描くこと”への熱情は、すこぶる高い。 あの北斎が「猫一匹、満足に描けない」と言った場面は、 その飢えにも似た探究心に、思わず息を呑みました。
主演の長澤まさみさんが演じる応為は、 男物の着物をざっと着こなし、ざっと歩く。 顔立ちは端正で、飄々としていて、 自己顕示欲がなく、女で勝負しない。 それが彼女の美学なのだと、静かに伝わってきました。
でも、映画の核となるいくつかの場面では、 その応為が、張りのある声で感情を吐き出すんです。 その瞬間、彼女の中にあった抑えてきたもの、言葉にできなかったものが 一気にあふれ出すようで、胸が熱くなりました。
名前を残すことよりも、 描くことそのものに命を燃やした人。 その姿は、静かで、強くて、かっこよかった。
飄々とした着物の裾の奥に、 応為の情熱は、静かに燃えていた。
応為という名前は、北斎が命名したもの。 いつも「おーい」と娘を呼んでいたことから、 その呼びかけが、やがて“応為”という名になった。
名前をもらったとき、 彼女は飄々と「もらっとくよ」と言った。 でもその表情は、ほんの少しだけ、うれしそうだった。
それは、描くことに生きた人が、描くことの中で認められた瞬間だったのかもしれない。 名前がなくても描き続けた人が、 名前をもらったときに見せた、静かなよろこび。
「もらっとくよ」と飄々と言ったその顔に、 応為の静かな誇りと、うれしさがにじんでいた。












