
色鉛筆画の教室では、 毛の一本一本を忠実に描くことが、成功のひとつの形とされている。 確かに、写真のようにリアルに描けることは、技術として素晴らしい。 でも私は、描いているうちに、 「この線は、こう進みたいんじゃないかな」 「この色は、もう少し重なりたがっているかも」 そんなふうに、絵の“気配”を感じながら描いている。
絵が、描かれたがっている。 私の手を通して、紙の上に現れたがっている。 だから、私の絵は、少しみんなと違う。 教室ではまじめに取り組んでいるつもりでも、 どこか画風がずれてしまう。 でも、それも私らしさなのかもしれない。
絵って、もっと自由でもいいんじゃないか。 そんなふうに、生意気にも思ってしまうことがある。 もし、いつか誰かから絵のオーダーをいただけるようなことがあったら、 「私はこんなふうに描く人です」と伝えたうえで、 どんな絵になるかを楽しみにしてもらえたら、 それはもう、すごくうれしいこと。
大勢の人に認めてもらえなくても、 たった一人でも「好き」と言ってくれる人がいたら、それで十分。
先日、私が描いた猫の絵をポストカードにして、 主人が帰省した際に義理の母に託した。 義理の母は、何度も何度もポストカードと缶バッジを眺めて、 「可愛い」と言ってくれたそうだ。
それだけで、心が満たされた。 私の絵が、誰かの目に、心に、やさしく届いた。 それが、何よりのご褒美。
これからも、細々と、自分の絵と向き合っていきたい。 描きながら、自分自身の新しい部分にも出会えたら。 絵は、私の手を通して、私の知らない私を描いてくれる。 それが、今の私の描き方。













